ご挨拶

監督挨拶

「強くなりたい」、「かっこよくなりたい」

空手を始めるきっかけはだいたいこんなところだろうと思います。弱いより強い方がいいに決まっています。かっこ悪いよりかっこいい方がいいに決まっています。このような願望を持たない人はいない、といってもいいのではないでしょうか。

もちろん私自身もそうでした。運動神経は悪くない方でしたが、気が小さくて落ち着きがなくて意気地なし、ある意味典型的な「武道でもやった方がいい」というタイプでした。

高校時代を運動なしで過ごした私は、大学では運動をやろう、できれば武道をやってみたい、と思っていました。体力に自信のない私は体格・体力の影響が最も少ないのは空手だろうと思い、空手部を第一候補と考えていました。空手が一番かっこいいと感じていたこともあります。

それでも、空手部に入部するというのはとても勇気のいることでした。たまたま勧誘されたから入部できましたが、自分から行く勇気はなかったかもしれません。会う先輩みんなが恐ろしく見え、不安でいっぱいでした。それでも稽古を重ねるにつれて、自分が生まれ変わっていくような感動を味わったものです。もう20年も前の話です。

さて空手というのは突(つき)、蹴(けり)を主体とした武道です。自分の手足を素材にして攻撃・防御の技を創り上げ、それで闘うわけです。

では、なぜ闘うのでしょうか。そしてなにと闘うのでしょうか。

私は闘う目的を「闘える自分になるため」だと考えています。そして、闘う相手は直接的には目の前にいる人、試合の相手です。でもその相手に勝つことは目的ではありません。武道の目的は結局のところ自分自身に勝つ(克つ)ことです。つまり、目の前の困難・不安・恐怖と闘い(そう感じさせる自分と闘い)、そして克服できる自分になるためにこそ、武道としての空手の意義があるのです。そのために技を創り上げるのです。

空手の技の素材は自分の身体です。誰かに創ってもらうことはできません。創ることができるのは、ただ自分自身のみです。もっと言えば自分の精神が創るのです。

強い精神がなければ強い技は創れません。でも強い精神など誰も持っていません。そこで、技を創っていく過程で精神も少しずつ強くしていくのです。武道をやると人格が磨かれると言われるのは、そのような部分をとらえてのことです。つまり、見事な技を創り上げることは見事な精神を創り上げることにつながるのです。その見事な精神が、見かけの上でその人をかっこよく見せるのだ、というところでしょうか。

みなさんは自分の将来を自在に描ける若さを持っています。大学での4年間、空手に真剣に取り組んで自分を磨き、自分の可能性を無限に広げてほしいと思います。そして大きな希望を胸に社会へと羽ばたいてほしいと思います。

inserted by FC2 system